江戸城の基礎知識

大奥とは、いったいどういう場所だったのか

投稿日:2016年5月17日 更新日:

ドラマや映画など様々な創作物の舞台となっている大奥。

大奥とは、いったいどういう場所だったのか




ドラマなどの影響からか、やたらと官能的で背徳的なイメージが先行しがちではありますが、実際には女中や将軍家の子女の住まう場所という機能の方が大きかったようです。
 

大奥は江戸城の本丸、二の丸、西の丸の3ヶ所に存在しており、江戸城の規模と合わせて非常に大きなスケールを誇っていたということです。
 

最盛期には前述した女中や子女、それに正室を含めて1,000人から3,000人もの女性が、この大奥で生活していたということですから、規模の大きさがよく分かると思います。

 

■大奥誕生の意外なきっかけとは

 

大奥の誕生は、3代目将軍家光の代までさかのぼります。
実は時の将軍徳川家光は男色(男好き)であり、女性への興味がなかったということが書物によって明らかになっています。

 
次代の将軍の心配をした家光の乳母である春日局によって江戸中の美女がスカウトされ、江戸城内に彼女たちの住まいを作りました。
これが大奥の始まりであるとされており、徳川家は途切れることを免れて200年以上も続くこととなりました。

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