江戸城の基礎知識

享保の改革の余波を受けた大奥

投稿日:2016年6月5日 更新日:

時代が下るにつれて巨大化していった大奥は、それだけ江戸幕府の財政を圧迫する存在にもなってゆきました。

享保の改革の余波を受けた大奥




最盛期には3,000人ほどの女性を抱えていた大奥は、給料の支払いだけでも巨額であり、幕府の財政が窮してゆくと削減の対象として挙げられるようになりました。
 

徳川八代将軍吉宗が執り行った「享保の改革」の一環として、大奥の女中の解雇を行いました。その際解雇されたのは美女が中心であり、その理由が「大奥を出ても美女ならば良縁に恵まれる」というものでした。

 

■ついに訪れた大奥終焉の時

 

徳川15代将軍慶喜は、長州征伐などの影響で江戸城に居ることがほとんどない将軍となっていました。
大奥の役割も、この頃にはかなり形骸化していたものと推測されています。
 

そして徳川慶喜が1868年に江戸城の明け渡しを決めると同時に、大奥は終焉の時を迎えます。
4代将軍徳川家茂正室・静観院宮と同生母・実成院は清水邸へ、13代将軍徳川家定正室・天璋院と同生母本寿院が一橋邸に引き移って、江戸時代の終焉と共に大奥の歴史も終わりを告げたのです。

-江戸城の基礎知識
-

Copyright© 江戸城ナビ , 2018 AllRights Reserved.